はじめに



技術は私の想像よりも長く生き続ける


2025年になりました。9月には還暦を迎えます。 私が就職したのはギリギリ昭和です。その後、平成・令和とエンジニアを続けていますが、 昔ほど残業をするわけでもありませんし、在宅勤務が大半のため通勤時間もほとんどありません。 自分のために使える時間が増えて、それはそれでとてもうれしいのですが、 何か目的を持たないと、時間がただ無駄に流れていくようで、とても怖いです。
一時期とは比較にならないほどOS等の進化も緩やかになり、 新しく学ばなければならないことは少なくなっているのを実感しますし、 過去の知識だけでも充分通用する技術力を持っています。
そんな今「私は何をすべきか」そう考えたときに、これまでの半生を振り返って、 しっかりとしたコンテンツを残しておいてもいいのではないか、そう思いついたのです。

Youtubeなどを見ていますと、私よりも年配の方が昔の技術を伝えるためにYoutuberとして勢力的に活動していたり、 私と親子以上の差がある若い方が、中古マシンを購入して昔の環境を復元していたり、 そんな状況を見て、改めて感じることがありました。
技術の新しい・古いは関係ない、年齢も関係ない、大切なことは、 自分が楽しいと感じるものを見つけてそこに情熱を注いでいるかどうかだけだ、ということです。

もう売られなくなったハードやソフトでも、かつての情熱を持ち続ける根強いファンからの指示で、 様々な延命処置が行われています。クラウドファンディングで、 昔の機種をミニチュア版として蘇らせるという動きもあります。

発売が打ち切られ、中古以外では入手できなくなった状態、これは人に例えると退職したのであって 亡くなった訳ではないのでしょう。これから長い長い老後を迎えるのかも知れません。 技術というものは、私が想像しているよりもはるかに長く生き続けるものなのかも知れません。

温故知新という言葉は、ただ昔を懐かしむのではなく、過去を知って未来に活かしていくということである、 そう自分に言い聞かせて行きます。



ここに何を記述するか?


昔の技術を伝えたい、というのがまず一番にありますが、 私以外にもいろいろな方が同様のことを行っていますので、 良くも悪くも私でないと書けないことを書きたいと思います。

インタネットも普及していなかったPC-9801時代、たくさんのアプリを作りましたが、基本的に全て自分専用でした。 私が何もしなければこのまま消えてしまうのですが、それはちょっと寂しいかなという気持ちがあります。 紹介できる範囲で紹介していきたいなと思ってます。 ※このコーナーのメインになると思ってます。

昔、もっとこうしたかったけど、
 @時間がなくてできなかった
 Aハード性能や経費の問題でできなかった
 B自分の技術力不足で出来なかった
いろいろ思い当たる節があります。こういったことにもチェレンジして行きたい、そう思います。


自分自身の忘備録になりスキルアップにもなる、読む人にとっては懐かしく・面白く・新たな発見がある、 そんなものにできたら最高ですが、さてどうなることやら・・・


歴史を遡る意味


気づけば、職場の若手たちとは親子ほどの年齢差があります。 父親が私より年下と聞いても驚くことはありません。 これほどの年齢差があれば、技術的なジェネレーションギャップも少なくありません。

特に気になるのは、私たちが順を追って学んできた技術を、 若い世代がいきなり途中から始めていることです。

たとえば開発言語。私たちの世代は、アセンブラやC言語で低レイヤの仕組みを学んだ上で Javaや他の高級言語に進んでいきました。 ところが、今ではJavaが最初の言語という人も珍しくありません。

Javaのような言語は、ポインタの概念が表に出てこないため、習得のハードルは低くなります。 しかし、たとえば「シャローコピーとディープコピーの違い」や「オブジェクトのライフサイクル」を正しく理解しないままでは、 複雑な問題に対応できないことも心配されます。 また、Javaにデストラクタが存在しない理由も、JVMによるガベージコレクションの仕組みも、 前提となる知識があってこそ理解が深まるものです。

本格的なエンジニアを目指すなら、ひとつの言語だけを知っているだけでは不十分です。 いずれ主要な言語やその背景知識が必要になる以上、技術の「歴史」を順を追って学んだ方が、 かえって効率的だと私は考えています。

もちろん、即戦力として現場で成果を出すことが求められる若手に、 昔の技術を一から学べとは言いません。 それでも「余裕があれば昔の技術にも触れてみるといいよ」と、 有望な若手には控えめにアドバイスすることがあります。

そして、他人にそう言った以上「言うだけで自分はやらない」という訳にはいきません。 意識的に古い技術にも触れることで、学び続ける姿勢を示すことができたらと思います。



技術や文化の保全・継承


「レトロPC」と一括りにしてしまうと見落としがちですが、実はその中に大きなボーダーラインが存在します。

@ 自分がかつて使っていたPC
これは、かつて日常的に使っていた機種です。 OSやアプリケーションも手元にあり、それらを使いこなす知識や経験もあります。 実機がなくなったことを除けば、まるで少年時代の記憶にタイムスリップするような、懐かしく心地よい体験です。

A 馴染みのない歴史的PC
一方で、自分が直接触れたことのない、いわば「歴史上のPC」も存在します。 これらは、生まれる前や関わりのなかった時代の技術であり、知識もアプリも一から学ぶ必要があります。 こちらは「知らない時代にタイムトラベルする」ような体験で、@とはまったく異なります。

人気の高かった機種には今も根強いファンが存在し、高精度なエミュレータや技術解説、周辺資料が豊富に存在します。 しかし、OSやアプリケーションに関しては事情がやや複雑です。
・一部には、メーカーが明示的に無償利用を認めたものや、ソースコードを公開した例もあります。
・しかし大半は、販売終了後もライセンスについて明確なアナウンスがないまま放置されている状態です。
・中には、メーカー自体がすでに存在しないケースもあります。
このままでは、これら貴重なソフトウェアが「技術的文化遺産」として記録に残ることなく、 歴史の闇に葬られてしまう恐れがあります。 こんな時には、ヤフオク・メルカリなどに頼ることになりますが、 目当てのものが見つかる保証はありません。

もちろん、違法な著作権侵害は許されるものではありません。 とはいえ、現実には判断が難しい「グレーゾーン」も存在します。例をあげると、以下のような点です。
・インストール台数に制限があるソフトウェアは、仮想環境(エミュレータ)をどうカウントすべきか?
・エミュレータ自体が正規(メーカーの承認など)に配布されていない場合、その利用は問題ないか?
・所有していたFDやCDを売却後、事前に作成したイメージファイルを使い続けるのは適法か?
・ソース公開されたソフトウェアを、再利用や再配布しても問題ないのか?
・バイナリの一部にパッチを当てる行為は、どこまで許容されるのか?
これらは法的にも明確な線引きが難しく、ケースバイケースで判断されるのが実状です。

私がこうしたことに取り組む目的は、あくまで「技術や文化の保全・継承」です。 不法行為を助長するつもりも、メーカーの利益を侵害する意図もありません。 また、特定の法人・個人を批判するものでもありません。

掲載内容に問題があれば、迅速に削除・訂正等の対応をいたしますので、 関係者の方はご連絡いただければ幸いです。



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